コラボレーション

A・ソクーロフ(映画監督)

  • アレクサンドル・ソクーロフ
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  • アレクサンドル・ソクーロフ

『児島宏子の奄美日記』児島宏子より

 南海日日新聞社でソクーロフは記者会見に臨む。他の新聞社、テレビ局の記者たちが彼を取り囲む。

 「島尾ミホさんにお会いするために来ました… この島は休息するのではなく働く場所に見えます…」と彼は早くも鋭い観察を披露する。

「あなたと作品を作るために1万キロの彼方から、ここにやって来ました」

 奄美をくまなくまわり、決して他者には撮り得ない写真(『奄美―太古のささやき』毎日新聞社刊他)を上奏している地元写真家、濱田康作がさっそくソクーロフを案内する。濱田さんは島言葉も話す島人。

 島の植物相は沖縄とかなり重なる。デェイゴ、ガジュマル、ハイビスカス、ブーゲンビリヤ… だが心なしか、ここの植物は沖縄に比べ湿り気を帯びている。濃厚な緑にも湿気が感じられる。海岸沿いに走ると、岸辺の水がとても澄んでいることがある。海の水とは考えられない。不思議に思って濱田さんに尋ねると、湧き水だと言う。

 "奄美"の語源と思われる意味は、一つに"雨水"二つに"美しい天"とのことだ。「雨が降っている光景が最も奄美らしいのですよ、意外でしょう」と濱田さん。「それでは奄美の色調は、濱田調でもあるソクーロフ調ですね」と私たちは笑う。6月に私が下見に島を訪ねた折に、濱田さんに奥さんの定子さんが、「あんた、暗い雨降り風景ではなく海辺にかっと太陽が照って、水着のきれいな女の子を撮った方が受けるわよ」と勧めたことが私たちの脳裡にある。濱田さんと私が「ちがう、ちがう、それは誰でも撮れる、濱田調はソクーロフ調で芸術なのだ」とむきになると、彼女は「宏子さんが、そう言ってくれるのは嬉しいわ。なかなか分かってもらえないのよ」と善良な笑みを浮かべた。やはり康作さんを愛し理解している。今やソクーロフが傍らにいるので濱田夫妻は百万の援軍を得た気分のようだ。
 濱田さんは、初めソクーロフを愛する島に徹底して案内しようと意気込んでおられた。だがソクーロフが到着した瞬間から、島について熟知しているような眼差しを注ぎ、鋭い考察を披露するので、彼までも驚かされている。そして、「ソクーロフさんはすでに島を発見していますねjと言い、ご自分が案内するよりは、ソクーロフの心の赴くままに従うという姿勢をとられた。言葉を介さない、そのお二人の内面の交流に私は胸を打たれるばかりだった…

ル・クレジオ(ノーベル賞作家)

  • ル・クレジオ
2006年、ル・クレジオは文化人類学者である今福龍太の案内で奄美を訪れた。写真は波荒れる冬の海を見つめる後ろ姿。撮影は濱田康作。

朝日新聞 2008年10月11日 『静寂と叡智に耳澄ます人—ノーベル文学賞受賞のル・クレジオ氏』今福龍太

2年前、奄美大島などに来島 自然とシマ口に強い関心

ル・クレジオさん二〇〇八年のノーベル文学賞に決まったフランスの作家ジャン・マリ・ギュスターブ・ル・クレジオさん(68)は〇六年一月、奄美自由大学を主宰する文化人類学者の今福龍太東京外国語大学大学院教授とともに奄美大島や加計呂麻島などを訪ね、島々の自然や潜みの音や文化などに関心を寄せ、「もう一度来てみたい」など語っていた。

ル・クレジオさんは同年一月三十一日から三泊四日の日程で来島。初日は奄美市笠利町節田の唄者や立神を訪ねた後、ばしゃ山村で旧正月料理を味わった。さらに同町喜瀬の聖地に、しばし身を置き、佐仁集落八月踊り保存会の前田和郎会長宅で大島紬の締機や織りを見学。伝統の八月踊りに触れ、六調の輪にも参加した。

翌日からは加計呂麻島、請島の集落をめぐり、同年二月三日、帰路に就いた。

ル・クレジオさんは終始島バナナを携えて、行く先々で静ひつに、ゆるりと身体を添わせ、自然の響きや奏でるような土地の言葉に耳をすましていた。請島の質素な民宿を訪ねた時は「いつか、ここに滞在したい」とすっかりお気に入りだった。

ル・クレジオさんを案内した今福教授は「奄美で自然の石や木はどういう音を立て、島の人はそれを何と言うかなどとしきりに聞いた。島の人が使う言葉や自然の音に彼ほど繊細な感性を持って入った人はいない。意味を形成する以前の音に敏感に反応する=耳の人=だった」と話した。

また、終日同行した奄美市名瀬の写真家で奄美自由大学の濱田康作事務局長は「加計呂麻島の実久集落では浜を一人でゆっくり端から端まで歩き、それから静かに集落の中に入り、歩き回ることなく全身でじっと観察されていた姿が印象的だった」と当時を振り返り、「いずれ、また島の響きに会いに来る人ではないかという気がする」と話している。


トリン・ミンハ (映画作家・作曲家・詩人)

  • トリン・ミンハ
写真は2004年10月7日、奄美大島、節田集落の立神の前に佇むトリン・ミンハと今福龍太。撮影は濱田康作。

『ドルチェ-優しく―映像と言語、新たな出会い』A.ソクーロフ・島尾 ミホ・吉増剛造・児島 宏子 (翻訳) 2001年/岩波書店より

2004年10月、映像作家=詩人トリン・ミンハを奄美で迎えた私は、奄美大島笠利町節田の浜を歩く私たちの身体に、沖に屹立するシマの立神(たちがん)の珊瑚質の岩肌が同化してゆく光景を幻視した。始原の海に相対して沈思黙考する、意識と情動の最も高揚したクライマックスで、私たちの肉体の石化が始まったのだった。シマの写真家=濱田康作のカメラは、その瞬間をみごとにとらえていた。珊瑚石の生命が、すでに私たちの身体をも取り込みながら、あまねくこの島の万物に降り注いでいるのだというヴィジョンが襲ってきた。


今福龍太(文化人類学者)

  • 今福龍太
  • 今福龍太
  • 今福龍太
2002年より「奄美自由大学」を主宰。濱田康作はその設立に協力し、事務局長を務める。
■ ホームページ    カフェ・クレオール

今福龍太 【Wikipedia より】

東京都生まれ。栄光学園高等学校、東京大学法学部卒業。1982年より、メキシコ・キューバ・ブラジルにて人類学的調査に従事。87年、テキサス大学オースティン校大学院博士課程単位取得(人類学・ラテンアメリカ研究)。エル・コレヒオ・デ・メヒコ、中部大学、慶應義塾大学SFC、カリフォルニア大学サンタクルーズ校等で勤務・研究ののち1998年に札幌大学教授、2005年から東京外国語大学大学院教授。2000年にはサンパウロ大学日本文化研究所客員教授を務め、現在はサンパウロ・カトリック大学客員教授として同大学コミュニケーション・記号学研究科大学院にて随時セミナーを持つ。
山口昌男の影響のもと、いちはやく狭義の文化人類学から周辺諸領域へと越境し、従来の学問の枠に収まらない自在な筆およびフィールドワークで独自の世界を構築する学者である。

追悼 山口昌男先生

去る2013年3月10日、今福龍太が師事した文化人類学者・山口昌男先生が亡くなられました。
朝日新聞[2013年03月24日]に掲載された、今福龍太による追悼文を転載します。

奄美大島、網野子集落のイビガナシ(丸石)に触れる山口昌男。その体の影の彼方、伊須集落の浜を永良部三絃を持って歩く今福龍太。二重露光撮影は濱田康作。2003年12月24日。

【写真:奄美大島、網野子集落のイビガナシ(丸石)に触れる山口昌男。その体の影の彼方、伊須集落の浜を永良部三絃を持って歩く今福龍太。二重露光撮影は濱田康作。2003年12月24日。】

【山口昌男の歩み 朝日新聞ー2013年03月24日】今福龍太

真摯で快楽的な学びへの窓

 いまあらたに、山口昌男という真に独創的な人類学者=思想家の知の歩みを、その著作を通じてたどること——それは魅力的で挑戦的な行為である。なぜなら、山口の著作は、私たちがつい陥りがちな「思考の惰性」を根底からゆるがし、世界や人間をめぐる事象を未知の景観のなかに置き直す、挑発的なアクチュアリティをいまだ鋭く抱えているからである。

 「中心と周縁」「トリックスター」「両義性」といった、一九七○年代の学問・思想界の固有の文脈のなかで山口によって人口に膾炙(かいしゃ)することになった理論的概念を、過剰に意識する必要はもはやないだろう。そうした戦略概念だけが通俗的に理解されたまま独り歩きしたために、山口人類学のより本質的な方法論や独創性がかえって見えなくなってしまった嫌いもあるからである。

 
知の発見法提示

 なによりもまず、山口の著作は私たちにとっての一つの刺戟的(しげきてき)な「知の発見法」としてある。厳格に構築された気難しい「学問」を、より自由で俊敏な「知」の軽快な運動へと解放する彼の発見法のエッセンスは、『山口昌男著作集』の第一巻「知」に収録されている代表作「本の神話学」において余すところなく語られている。本は思考のためのたんなる「資料」や「文献」ではない。書物とのあいだにまず情動的・身体的な関係をうちたて、書物のなかに宿された躍動的な「生命」を受けとめ、そこから日常的な知性のはたらきを自前の感受性によって組織化してゆくことこそ重要だ。

 「本の神話学」で取りあげられる精神史、亡命、政治と芸能、蒐集(しゅうしゅう)と物語といった主題は、すべてこの発見法的な知の実践へのじつにユニークないざないである。そこには、学問が惰性的に寄りかかる「専門」という強迫観念はない。学問制度のなかで形式的に囲い込まれただけの「専門」なる概念が、知の全面的な展開にとっていかに不自由な足かせになっているかを、それはじつに見事に暴き出してくれる。

 『道化の民俗学』もまた、イタリアの仮面劇におけるアルレッキーノやアフリカ部族社会の神話における道化神などの詳細な分析を通じて、社会における「知識人」なるものの創造的なあり方について考察した渾身(こんしん)の力作である。ここで縦横に論じられた「道化」とは、きまじめな社会にたいしておどけた振る舞いを仕掛けるだけの愚者ではない。むしろ反対に、道化とは世の中が愚行の塊にすぎないことを悟ってしまった裏返しの賢者であり、だからこそ世界を縛りあげるすべての物事から自由でいられる。その意味で、道化は「批評」のもっとも洗練された形態なのである。そして山口自身が、そうした道化的知識人へとたえず自己変容しようとした。

「危機」に対峙も

 「文化学」への入門講義として行われた『学問の春』は、オランダの文化史家ホイジンガの名著『ホモ・ルーデンス』(遊戯人)の解読を手がかりに、道化的な批評性を武器にして、社会の「危機」にどのように対峙(たいじ)すべきかを説いた山口の最後の著作である。こうした語りは、意を決して、山口の知の細やかな息づかいまでもが聞きとれる、学びの「最前列」で聴くべきだ。そのような、真摯(しんし)で快楽的な学びを強く求める者すべてに、山口昌男の著作はひとしく開かれている。

    ◇  いまふく・りゅうた 東京外国語大学教授(文化人類学) 55年生まれ。『群島—世界論』『レヴィ=ストロース 夜と音楽』ほか。

吉増剛造(詩人)

現代日本を代表する先鋭的な詩人の一人。 【吉増剛造 - Wikipedia より】

A・ソクーロフの映画『ドルチェ―優しく』の製作に関わり、濱田康作とソクーロフを結びつけた。
濱田康作は水先案内人として島を撮影するソクーロフを導いた。

スカイパーフェクTV 『Edge〜未来を、さがす』2001年12月〜吉増剛造1「心に刺青をするように」より

島国としての、日本の再発見…。
日本は島国であるという現実を体で感じ取るために、 詩人・吉増剛造はこの20年奄美や沖縄といった南の島々を事あるごとに旅をしている。海に囲まれた島国に暮すということが、どんな意味や機能をもっていたのか。無くしてしまった自分の“内なる島国”を取り戻そうとしているかのように吉増の旅は続く。
そこに見出されてくるものの一つは、海という交通路の姿だった。


村松健(ピアニスト)

  • 村松健
  • 村松健
  • 村松健
2004年より音楽制作の拠点を奄美大島に移して活動している。濱田康作は毎年、村松の野外ライブ『うとぅぬうしゃぎむん』を企画・開催している。
■ ホームページ   A Quiet Place(村松健オフィシャルサイト)

村松 健 【Wikipedia より】

東京都出身のピアニスト、作曲家、三線弾き、フルートなどのマルチプレーヤー。巣鴨中学・高校を経て、成城大学卒業。
幼少からピアノをおもちゃ代わりに、東~わらべうた・シマウタ、 西~クラシック・ジャズ・ブラジル音楽などボーダーレスな音楽環境で独自のなつかしい音世界を育んだ彼は、成城大学在学中の1983年にデビュー。以降、自作自演のスタイルでアルバムを発表。1991年、蝶や唄そして精神世界に導かれ、奄美大島へ。毎年ミハチガツ(旧暦八月)のひと月を島で過ごすようになる。2004年、音楽制作の拠点を奄美大島に移し、キーンムーンレーベルを設立、生まれたての音楽を島から発信している。最新アルバムは奄美・名瀬港で船の出入港テーマ曲に採用された2曲と、村松健のライヴパフォーマンスに欠かせない人気の楽曲の最新バージョンを収録したアルバム「イリフネデフネ」(2013年1月発売)。 また2005年発表のアルバム「88+3」より、島ではずっと伴奏楽器だった奄美三線を、独特の軽やかでハイトーンな「音色」と、こぶし回しから生まれる「うたごころ」に よって独奏楽器としてフィーチャー。ピアノやウクレレ、弦楽四重奏との共演や、パーカッシブなカッティングプレイなど、独創的なプレイで好評を博す。自ら材を削り音を吟味した三線を駆使し、新しい独奏楽器としての可能性を探求し続けている。

デビュー以来、数多くのCMやテレビ、ラジオ番組のテーマ曲などを手がける。テレビCMは現在オンエア中の富士通企業CM“暮らしと富士通”・アフラック「光のワルツ」など多数。 また2007年よりアニメ『スケッチブック〜full colors〜』『紅〜KURENAI〜』『うみものがたり〜あなたがいてくれたコト』『夏雪ランデブー』の劇中音楽を担当。
ライヴ・パフォーマンスではホールはもとより、月夜の浜辺・森の中・古寺の境内・廃校などそのシチュエーションを生かした夢のコンサートで時空を共にする。近年は、その季節ならではの選曲と編成による「4Seasons Live」と、奄美大島で7月第1日曜日開催の野外公演「うとぅぬうしゃぎむん」(島の言葉で“音の捧げもの”)を中心にコンサート活動を展開中。第2の故郷である北海道の活動は活発で、北見と十勝で毎年欠かさずコンサート/レコーディングを行っている。また生の音楽に触れる機会の少ない島や北海道の子供たちに音楽を届ける「学校ボランティアコンサート」なども積極的に行っている。


朝崎郁恵(唄者)

奄美島唄伝承の第一人者と言われるベテラン。
『うたばうたゆん・奄美島唄への旅』 (CD付き写真集 2002年3月、毎日新聞社)で濱田康作とコラボレートしている。
■ ホームページ   朝崎郁恵オフィシャルホームページ

朝崎郁恵 【Wikipedia より】

鹿児島県大島郡瀬戸内町花富生まれの歌手。奄美島唄伝承の第一人者と言われるベテランである。
島唄の研究に情熱を傾けた父辰恕(たつじょ)の影響を受け、10代で天才唄者として活躍。 吟遊詩人福島幸義を師匠とし、現在は東京を中心に活動し、後進の育成を図るとともに、日本各地の芸能・各国の民族音楽とも交流し、新しい島唄の創作に力を注ぐ。
1984年から十年連続で国立劇場で公演。1997年にインディーズからリリースした「海美」の収録曲『おぼくり~ええうみ』が細野晴臣らによってJ-WAVEで紹介され、一躍世に知られるようになる。2002年、UAのゲスト参加したアルバム「うたばうたゆん」でメジャーデビュー。
奄美大島を離れて40年以上になるが、未だに現地の音楽界での評判は高く、ゴッドマザー的な存在として奄美の美空ひばりと呼ばれることもある。
姫神、GONTITI、ウォン・ウィンツアン、 元LUNA SEAのSUGIZO等とも共演した。 日比谷野外音楽堂での毎年恒例のイベント琉球フェスティバルなどでも活躍している。


宮木 朝子(音楽家)

現代音楽を起点に知覚横断的活動を行う音楽家。
濱田康作の多重露光映像と、フィールドレコーディングした島の自然音をベースにした”多重露光音響”をコンセプトにした作品がある。

洗足学園音楽大学 ウェブサイトより

桐朋学園大学音楽学部作曲専攻、同大学研究科卒業。フランス国営放送局内INA-GRM、MOTUSにて作曲、電子音楽、アコースモニウム演奏法を学ぶ。現代音楽協会作曲新人賞、秋吉台国際作曲賞佳作入選。文化庁在外派遣芸術家としてカイロオペラハウスにて電子音とオーケストラと映像による委嘱作品上演。作品はJAPAN2001(ロンドン)、FUTURA国際電子音響芸術祭(クレスト)、Il giardino della musica(ミラノ)他にて上演、NHK FM、Radio Franceにて放送。NHK放送技術研究所22.2ch立体音響とスーパーハイヴィジョン映像用音楽制作(2006,2007技研公開)。国立天文台4次元デジタル宇宙プロジェクトの音楽担当(イミロア天文センター、未来館常設、Siggraph2007エレクトリック・シアター入選上映用音楽)。CD『Virtual Resonance』他。


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