サイト管理人 熊本武雄の紹介 |
熊本 武雄 1956年熊本市生まれ。
小学校は熊本市立砂取小学校で、そこそこ元気いっぱい
の子供でヒョロリと背の高い典型的な「もやしっ子」でした。
4年生からコーラス部でソプラノパートを高い声で歌ってま
した。熊本市立出水中学校に入学した中学1年の頃、
兄の家庭教師である当時熊大生の岩谷さんという
ウッドベースを演られる方に生まれて初めてJAZZ喫茶
(熊本市上通町のemanon)という衝撃的に騒々しい店に連れて行って貰ったのが、
以後ずっと後年までJAZZキチになったきっかけとなりました。
中学時代は、リーモーガン、クリフォードブラウン、ベニーゴルソン、エリックドルフィーに
酔心して、小遣いの全てをJAZZレコードに使っていました。
高校は公立受験に失敗し、男子校の九州学院に進みま
したが女生徒が全く居なかったので、今考えると高校
生活に「張り合い」がまるで無かったように思います。
ブラスバンドでトランペットを吹き始め、学校の気風が
お洒落だったもので、当時はリーガルのローファーに
アーガエル柄の靴下、コードバンのベルト、VANのボタ
ンダウンシャツに裾幅18cmのスリムなダブルのズボンの学生服で、ちょこっとカッコつけていまし
たね。(俗に言うIVYと言われるタイプのファッションです。 笑)
とにかく毎日・毎晩よく飲みました、朝の3時、4時
まで・・・。国分寺、国立、武蔵小金井、阿佐ヶ谷
時には築地辺りまでも。
ヤキトンやレバー刺しで酒なんかを飲み食いし始めたのは大学に行くようになってからで、
特にスイングジャズ研の当時のバンドマスターだった山口県出身の棟近先輩には毎晩
「酒道」をご指導頂き、この場を借りて御礼申し上げます。
m(_ _)m
また、今は有名作家となっていらっしゃる村上春樹氏と
知り合いになったのがこの頃で、村上さんはは当時国分
寺南口で50年代のJAZZを聞かせる"Peter Cat"という
JAZZ喫茶&バーをされてました。マスター(村上さん)は
山上漫画をこよなく愛する人で山上たつひこの漫画
本がこの店には沢山置いてあったんですねぇ。
この山上漫画の影響でボクも漫画好きになり以後いろいろな作家の漫画を読み漁る
事となりました。永島慎二、つげ義春、勝川克志、鈴木翁二、安部慎一・・・・・。
"Peter-Cat"の筋向かいに、こおひいや「ほんやら洞」、
カレー「グルマン」、川沿いに「ピーナッツハウス」、
国分寺駅北口のJAZZ喫茶「モダン」、東経大前の
「竹茂食堂」などは、ボクの青春の1ページなので
あります。 (現役の東経大生の方!! この辺りが
今どうなっているか、教えて!!)
女友達ができて、初めて女性と二人で飲みに行ったり
して、緊張で胸がドキドキ、足がガクガクだったのがこの頃です。
1978年 自然気胸で入院、退学、郷里の熊本へ
大学の3年の時、ラテン音楽愛好会で活動をしてい
ましたが、ある日チューニングの時にラッパを吹
くと胸が苦しく、痛みがあり、吹く事ができませ
ん。病院に行き検査すると肺が破れて呼吸困難
になっていました。・・・病名は「自然気胸」とのことで即日入院、そして手術。
退院後病状をナメて楽器を吹き始めたのが
イケませんでした。3ヵ月後に再び再発!!
またしても入院!!「人生最悪の時期」を体
験することになり、どん底の"引きこもり状態"。
楽器を吹く楽しみを断たれると、何と、あっさりと
大学を辞めて熊本に帰って来ました。しかし2年間でたったの17単位しか取ってなく(笑)、
大学には8年はお世話になる覚悟をしてたので、今考えてみると、「経済的には良い結果!!」
だったと思えば辛くはない選択でした。しかし、ようやく慣れた「東京赤貧暮らし」に、ピリオド
を打たなければならなかった事、付き合いのあった多くの友達との連絡が不通になった事
など、大切な財産を亡くした気がして残念に思いました。熊本に帰って1年ぐらいは微熱が
あって実家でブラブラしていました。ニート状態で親に飯食わせてもらってるのが何か随分
肩身が狭かったですね。ある時、所有する老朽化した家を建て直すことになり、賃貸ビル
建設計画が浮上(と言っても小さな建物です。)、
突然その一角で気楽に飲食店を始めました。学生時代に飲食店のアルバイトを転々とし
たことが唯一役に立ったようで、この後12年間厨房の仕事に従事します。
開店から8年後に日本の世の中は「バブル期」となり、証券会社、銀行、不動産業者を
中心に国民全員がジュリアナのように"踊り狂った"時代に突入していきました。
1991年 宅建主任者免許取得後直ち
朝から夜中までの長丁場の飲食店業務に少し嫌
気が差し始めて来た頃、「田舎暮らしの本」を
書店で見つけて読んでいるうちに「田舎を専門
に扱う不動産業者」もおもしろそうだな、なんて気楽に考えたのが、今の仕事に転職する
きっかけとなりました。当時「田舎暮らしの本」は物件紹介欄の不動産掲載数が何と僅かに30物件程度、
年間4回発行の季刊誌で出版社名が宝島社ではなく、
JICC出版局という名前でした。「都会人の田舎暮ら
しを紹介する本」という内容が、狭い厨房でバタバ
タ働くボクにはある種の安らぎと夢を与え、ボクの
心には随分斬新に写ったものです。
宅建試験に向けて店の厨房やトイレ、毎朝早朝に起き
ての自宅での参考書読みの
結果、やっと試験に合格し、早速、NECのワープロ、FAX電話、コピー機等のいわゆる
当時の不動産業者さんで言う「三種の神器」を買い込んで、今考えると無謀ですが、
この奥の深い、しかも混沌とした不動産業界に踏み込む事となったわけです。
結婚当時「不動産業やったことも無いのに一体どうすんの?」とは、ボクの嫁さんの弁です。
そういうわけで、不動産業者になって27年目となり、業界では"ベテラン業者"ということ
になっています。
そして業務開始から一貫しての「田舎不動産専門店」を唱え続けているわけですが、未だに
"貧乏な不動産業者"であることは一向に変わりません。(トホホ・・)
あまり貧乏が続くと、そのうち「民宿のおやじ」でも始めるかも、と思っています。
-2003年9月 記- (一部平成30年加筆)
嗜好&特技: 海に面した日本の漁村めぐり
音楽: Eric Dolphy、Wynton Marsalis、武満徹
漫画: つげ義春 永島慎二 勝川克志 鈴木翁二
お料理: ステーキ カレー 餃子 中華腸詰
役者など: 成田三樹夫 殿山泰司 小沢昭一
田舎不動産専門店セブン 番頭 熊本武雄
〒860-0845 熊本市中央区上通町7-7
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